「四角いもの」覺書 - 平成十七年七月、八月

平成十七年八月

H17-8-30

John Gossage: 13 Ways to Miss a Train (Linea di Confine Editore, 2004)

イタリアの Linea di Confine per la Fotografia Contemporanea といふ團體による、イタリア人及外國人寫眞家に彼の國で新しく建設される高速鐵道の路線に沿つた地域を撮らせる、といふ企劃の中でできた本らしい。どこでも似たやうなことをしてゐる。

タイトルにはさほど深い意味は無いやうである。「汽車に乘りそびれるのは勿論忌忌しいが、自由な時間を與へられることでもある」とある。十三の章に分けて、場所を移しながら、一、二、三、とそこに含まれる寫眞の數を増やして行くが、最後は何故か十三以上ある。この構成にも深い意味は無くて、遊びのやうなものなのだらう。こつちは何が寫つてゐるかに大して關心が無い。もつぱらかう云ふ「遊び」を面白がつてゐる。

H17-8-3

『In-between』

日本人寫眞家十三人がEU全二十五ヶ國を旅して、寫眞を撮つて來たのを本にしたといふ。十三卷に別卷が一つ。それが既に四册出てゐる。

宣傳文句にマスメディアが伝えることのないとあるが今時そんなことはどつちでもいい。また、このEU・ジャパンフェストでは、もう何年か前から、外人を招いては日本を撮らせることをやつてゐる。それをまとめた物が今までに六册出てゐるやうだ。カメラ雜誌に出てゐたのは見たことがある。日本に向けられたヨーロッパ人の眼といふ「プロジェクト」ださうで、さう呼ぶしかないのだらうが、これも氣が利かないタイトルである。偏見にも上等下等があるのだから、それだけでは何とも。個々に見ていけば優れたものは必ずある筈だが、往々にして、この手の寫眞には(惡いといふわけではないが)退屈なものが混じることは以前記した。外人が面白がる日本(日本人が面白がる外國)といふ類型がある、と。

H17-8-2

册子小包

日本たばこ産業から試供品の煙草が屆いた。箱に冊子小包とある。

「冊子小包」「サンプルたばこ在中」と書かれた箱

日本郵政公社によれば、册子小包郵便物の對象は冊子とした印刷物及び電磁的記録媒体である。たしかに紙卷煙草は「印刷」された部分も多いが、それにしても。

念のために目方を量つてみたら百グラムもない。これなら定形外普通郵便のはうが安く送れる。それとも煙草は册子でありえても第一種郵便物にはならないのか。

平成十七年七月

H17-7-31

花火

特に離れた所から見ると、打上げ花火はまるで空に描かれては消される繪である。然し、それは奧行を持つた立體物なのである。近くから見れば分ることだが、一番良くそれを實感するのは移動しながら見るときである。走る電車から見たことが何度かある。一つの花火が開いてから消えて行くまでを目で追つて、それが紛れも無く、球體をしてゐることが分つた。繪ではなく、ほんの束の間、宙に築かれる火の彫刻である。花火は矢作川で行はれる岡崎のものである。電車とは東海道線である。

有志は花火が立體物であることが分る寫眞を撮つてみてはどうか。色々やり方はあるだらう。

H17-7-3

羅府シスター學校

或る古本屋へ入つたところ古い寫眞が目に入る。集合寫眞だが横に長い。縱が25cmで、横が150cmほどもある。そこに四百人くらゐが寫つてゐて表情まで鮮明である。端から端まで見て飽きない。日本から米國カリフォルニアへ渡つた移民たちである。羅府シスター學校増築紀念父兄懇親ピクニック 千九百二十六年五月三十一日 移川寫眞館とある。また英語でMaryknoll Picnic / St.Francis Xavies School / Los Angeles, California / May 31st, 1926とある。小學生くらゐの子供とその父兄は殆どが日本人で、シスターたちは白人が主である。これだけの人が寫つてゐる記念寫眞だから數は作られただらう。日本の故郷へも送られたのかもしれない。

羅府シスター學校父兄懇親ピクニック寫眞の一部

上は極く一部。

資料的な價値は知らないが、原板にも寫眞にも繼ぎ目がないのに感心。移川さんは大型のカメラをかついでピクニックに隨行したのか。引伸しまで含めて、手間がかかつたらう。

H17-7-2

『真昼の街』など

古書會館の即賣會で繪葉書と、岩波寫眞文庫二册:『南氷洋の捕鯨』(山田致知、1950)、『やきものの町 瀬戸』(記されてゐないが東松照明、1955)。いづれも傑作。五百ゑんなら安い。

その後古本屋を何軒か。川俣修壽『真昼の街』(傘張り浪人社、昭和五十六年)が目に入る。タイトルは「写真装置」の廣告で知つてゐた。實物を見たら、タイトルから想像できる、そのままだつた。ちよつと面白いのもあるし、つまらないものもある、といふレベル。全て見開きで使つてゐるが、眞ん中に人が固まつてゐる場合が多い。それで肝腎なところが「のど」のところに重なつて、よく見えなくなつてゐる。これでは失敗だと思ふけれど、この人はこれで良いのだらう。發行所がふざけた名前である。どうせ自費出版だらうから「社」といつても實體はないのだらうが、まだどこかに「傘張り」をしてゐる「浪人」がゐると云ふ想像をしてみる。

Kato