「四角いもの」覺書 - 平成十六年三月

平成十六年三月

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(續き)けふ氣づいたがあなたはシャッターを押すだけとは、ちよつと變な言ひまはしだ(普通に使ふが)。日本コダック株式會社發行の册子から引用したのだが。それを言ふなら「シャッターボタン」とか「シャッタースイッチ」だ。シャッターそのものを押したら壞れてしまふ。引用元をよくよく見たら、元の廣告も載つてゐた。 YOU PRESS THE BUTTON WE DO THE REST. で、やはりボタン。イーストマン自作の文句ださうだ。

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「寫眞の知識に關する展覽會」

潜日記三月二十三日で大日方欣一さんが、七十年前の安井仲治の言葉(要約:未來は技術の進歩により寫眞が容易になり、寫眞家といふ呼び方はなくなる。一方藝術としての寫眞の進歩は必ずしも期待できない)を引用した後でかう續けてゐる:

「写真家」は無くなる、という趨勢はいま、実際に進行しつつあるのかも知れない。ただしそれは、写真術が「普遍化」したからだ、とは云いにくい気がする。生活のなかに遍在する傾向が飛躍的に増したという意味での「普遍化」、ということなら、それはそうだろうとも。しかし、技法の「簡易化」という趨勢がそれと絡まりあって、技術の「ブラックボックス化」という事態を押しすすめていることも、見ないわけにはいかない。写真という技術・手段を成立させている前提条件にかかわる共通理解みたいなものが、見えにくくなってきている。わかんなくなってきている、写真とはなにか、が。

 …いま、「写真の知識に関する展覧会」をやってみろ、ということになったら、どうしましょうか!?

歴史の早い段階において、技術の簡易化、ブラックボックス化、それによる大衆化は寫眞産業における絶對的な目標になつた。ジョージ・イーストマンが「あなたはシャッターを押すだけ」の宣傳文句でコダック・カメラを發賣したのは1888年(明治21)である。その後の技術の發達も、その延長から外れることはなかつた。日本の寫眞機メーカーの勝利も、彼らがその目標を的確に達成してきたからである。寫眞を撮ることが全く日常の行爲になるとともに、寫眞の道具、材料を作る技術は普遍化どころか、寡占化が進んだ。一通りの種類のフィルムを作れるメーカーが世界中でたつたの四社であるのはその端的な例である。寫眞藝術家はただ、大衆と企業とによる技術とその對價とのやり取りから、おこぼれをもらつて生きてきただけなのではないか。

もしも展覧会をやるのならば、主として企業の研究者、技術者を頼ることになるだらう。寫眞家はその作品で花を添へることが出來るかもしれない。寫眞評論家と呼ばれる人たちに出る幕はあるのかしら。

金村修展

四月十二日から五月十五日まで名古屋八事にある中京大學アートギャラリーC・スクエア金村修展が開かれる。と、案内が屆いた。行くつもり。

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ふと思ひ出して考へたが、遲ればせながら去年のベスト1は尾仲浩二『slow boat』(蒼穹舎)にした。今後、毎年決めて行くことにしよう。「四角賞」とでも呼ぶか。選べるほど見てゐないのは仕方がない。目に留り、買ふ氣になつたといふことが既に評價の第一歩なわけで。

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古繪葉書がたまるにしたがひ、似た繪柄がたまつて來る。同じところを似たやうな角度から寫してゐる。定點觀測みたいなもので時間の順序を考へるのも面白い。樹一本見ても、高くなつたり、枝が折れたり。しかし、畫面からいつもはみ出てしまふ所が見たくなる。

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某町圖書館へ除籍雜誌をもらひに行く。美術手帖、アサヒカメラなど、去年の正月前後の號。ほとんど習慣になつて來た。もう買ふ氣がしないとは言はないが(時々は買ふ)、これらは情報源としか見なしてゐない。物としての魅力を全く感じない。それにしても、美術手帖は何であんなに字が小さいのか。

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『off』

十五日に第二號(昭和49年6月發行)を手に入れたことで『off』(發賣:工作舎)が全て揃つてしまつた。と言つても、二號で終つてしまつた季刊書籍なので二册しかない。既に持つてゐる第一號(昭和48年9月發行)に挾まつてゐた『[off]第2号 作品募集中』といふ二つ折りの紙によると、この定期刊行物主に応募作品によって作成され全国1000書店で市販される。作品を送つてきた人が1pageの製版・印刷代を負担し、ノー・ギャランティー。銓衡は市川英夫と松岡正剛の個人的判断によるさうだ。かうして公募してゐる割には、一號と二號とで掲載された寫眞家に共通の人が多い。大して名乘りを擧げた人がゐなかつたのか、個人的判断によるものなのか。

參加した人は各號約五十人で見開き二頁づつの掲載となる。寫眞には頁數以外の文字は添へられず、卷末に名前と住所(連絡先)だけが列擧してある。イメージだけが延々と續く。全體として、公募作品集らしからぬ、統一された雰圍氣がある。編輯が巧みなのであらう。參加寫眞家の名前をいくつか拾ふと、川田喜久治、北代省三、沢渡朔、稲越功一、田中長徳、内藤正敏、江口弘美など。それぞれの作者の持ち味を殘しつつも、比較的寫された物の意味や撮影状況が取りにくい、自由な解釋を許してゐる、ちよつと奇妙な畫像が選ばれてゐる。

松岡正剛による「フィルム・ノート」といふ文章が各號最後に載つてゐるが、これは私には理解不可能。物理學や化學の教科書を引きながら、科學者ならまづ使はない物言ひをしてゐる。

この本については金子隆一・島尾伸三・永井宏編『インディペンデント・フォトグラファーズ・イン・ジャパン 1976-83』(東京書籍、平成元年)でも四頁を割いて記述されてゐる。「off」を見ると、肉体的な体験の記憶に、視覚上の体験を近づけようとする作為が編集方針として見え隠れしているように思われる。これは森永純の影響によるものではなかったろうか。 森永純はこの本にも參加してゐる寫眞家だ。工作舎といふ版元については:そこで彼らが売り物にしたイメージのひとつとして、科学的神秘主義のようなもの、あるいはより神秘主義的なシュルレアリスムのようなものがあった。/写真表現も、そのようなイメージを語る道具と見なされていたように思われる。 「のやうなもの」、「思はれる」が繰返されてゐるところに書いた人の苦勞が窺へるが、結局よく分らない。

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『現代寫眞展 日本とアメリカ』

昨日入手の目録によると:敗戰後八年、昭和二十八年(1953)の八月二十九日から十月四日まで、設立二年目の國立近代美術館で開かれた展覽會である。ニューヨーク近代美術館から出品された「アメリカ」の作品と國内寫眞家の作品とを集める。アメリカ側の名前を書き出してみる。

Berenice Abbott, Ansel Adams, Shirley C. Burden, Harry Callahan, Robert E. Christie, David D. Duncan, Walker Evans, Consuelo Kanaga, Dorothea Lange, Saul Leiter, Leon Levingston, Helen Levitt, Herbert Matter, Tosh Matsumoto, Gjon Mili, Wayne Miller, Lisette Model, Arnold Newman, Homer Page, Irving Penn, Eliot Porter, Aaron Siskind, Eugene Smith, Frederick Sommer, John Szarkowski, Val Telberg, Todd Webb, Dan Weiner, Edward Weston

これに加へて石元泰博が「アメリカ側」にゐる。

今から見れば、頗る豪華な名前が並んでゐる。これが當時のアメリカの「現代」であつた譯だ。「日本側」はやたらと多人數なので略。木村土門濱谷林秋山大竹など今も著名な人は當然出てゐるが、知らない名前も澤山。目録に掲載の圖版を見る限りアメリカに比べると表現の多彩さに乏しい印象。これがこの頃の日本の「現代寫眞」であつたか。戰前はすでに遠い。

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只の本、安い本

(續き)もつと良いものが見つかるのではと妄想のあげく、けふも行つた。人出は半分以下で、最初から入ることが出來た。さすがに冷靜になつて觀察すると、三萬五千册放出といつても古雜誌が多い。古新聞まで含まれてゐる。旅行のガイドブックが壁になつてゐる。コンピュータ關係の本、讀み捨ての推理小説の類も多い。状態を脇に置いても、古本として値打のないものも多い。當然か、と少し冷める。それで:『甦る幕末 ライデン大学写真コレクションより』(朝日新聞社、昭和62年);『写真で見る幕末明治』(世界文化社、平成2年);本橋成一『老人と海』(朝日新聞社、平成2年);あとは別册サイエンスとか美術全集の端本など。珍しくもない物ばかり。車に戻つて頁をめくつてゐたら、中からカラー寫眞が二枚出てきた。かつて借りた人の忘れ物だらう。何年間か書庫に入つたままの本の筈である。今更屆ける必要はなからう。孔雀が寫つてゐる。白人の幼子が砂濱にゐる。海外旅行で寫したのか。

十時前には用が済んでしまつた。物足りないので、さらに三十分ほど行つた所の古本屋へ。隨分前だが「成功體驗」のある店。久し振りに行つてみたら:国立近代美術館『現代寫眞展 日本とアメリカ 目録』(昭和28年);『off第2号』(工作舎、昭和49年);北島敬三『写真特急便 東京』(パロル舎・文彩社、昭和55年);Camera International 1985.2。どれも一般的な古本の値段である。やはりここは定期的に來るべきだな。

それにしてもタイトルだけでも、ずらずらと書き並べると迫力が出る。

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「除籍本リサイクル」

某市圖書館の「除籍本リサイクル」へ。車で小一時間掛かる場所だから、わざわざ行くこともないと思つたが、二日に分けて三萬五千册出ると聞いたので見物のつもりで行つた。開場十分前に著いたら既に三百人以上はゐる。これは入れないなと思つてゐたら、整理券を渡された。三十分毎に入替へるやうだ。私は一時間後の三囘め。時間をつぶすに困る場所ではない。

會場はそれほど廣いわけでもないが、三十分で見るには難しい。しかも貰はれていつた分だけ逐次補充していくやうだ。何に當るかは運次第。一人十册までとの御達しである。それで: 嶋元啓三郎『遺作集 彼はベトナムで死んだ』(読売新聞社、昭和47年); 加藤博『地図にない国 Kawthoolei』(同時代社、昭和57年); 渋谷四郎『北海道写真史[幕末・明治]』(平凡社、昭和58年); 岩波書店編集部『グラフィック・レポート 二つの日本・8月15日』(岩波書店、昭和61年); 林完次『星の詩』(ぎょうせい、昭和62年); 山内政三監修『写真集 静岡市いまむかし』(静岡郷土出版社、昭和63年); 井出義雄『湿原の妖精たち タンチョウ』(京都書院、昭和63年); 笹本恒子『昭和・あの時・あの人』(TBSブリタニカ、平成2年); 広河隆一『核の大地』(講談社、平成2年); 『ビジュアル博物館 列車』(同朋舎出版、平成5年); 寫眞集と呼べるものだけで十册いけた。何故か報道、記録が多かつた。あまり熱心には見ない分野なので却つて良い。つまらない本でも只ならたまには良いし。

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寫眞と宗教(あくまで覺書)

ラルフ・ギブソンは自分の寫眞を説明して「(さう熱心な信徒ではないが)カトリックの影響がある」と書いてゐる。私はギブソンの本を二十册以上集めた。それ位、自分の性に合つたといふことだ。しかし、どこがどうカトリックなのか、未だにさつぱり判らない。私がキリスト教徒でないからか、或は日本人だからだらうか。(單に無知で、鈍いだけ?)

山本昌男の寫眞は海外で紹介されるとき、論者が西洋人の場合、必ず禪だの佛教と結び附けられる。寫眞のタイトルに『空の箱 (Box of Ku)』などと附けてゐるから、さう取られるのも仕方がないにしても、日本人なら「空」が「そら」とか「から」とも讀める(むしろそれが普通)ことを知つてゐる。「くう」とは先づは音讀みしただけである。私は、山本さんの寫眞を見て、佛教的と感じたことはない。本人の意圖までは判らないが、それを裏づける彼の言葉を讀んだことも聞いたこともない。(ちなみに、直接、聞いたのには「空の箱」を「くうのはこ」と初めて讀んだのは彼自身ではない。)

西洋人にとつて、藝術家が宗教の影響を受けることは自然なこと、ひよつとするとあつてしかるべきことなのだらう。

アンリ・カルチエ=ブレッソンが「21世紀はどんな時代になると思ふか」と訊かれて答へた言葉は「私はキリスト教徒ではないから、(さう云ふ時代の區分けは)關係ない」。(これは以前テレビでちよつと見ただけ。正確な引用ではない) うつかり共感しさうになつたが、それは違ふと思ひ直した。日本人が同じことを言つても大して意味はない。單なるひねくれ者の返事だ。「そんなことは分つてるよ」と言ひ返されるだけである。

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奇魂八號

發賣中。「四角いもの」の話ではなくて人情ばなしを書いた。自分としては日本人にとつての「常識」へ、そこはかとなく迫つた積りだつたが。

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川崎市市民ミュージアムの問題については、photographers' galleryphoto-eyes の二月二十日で、他ならぬ學藝員の深川雅文が書いてゐる。ここは昭和六十三年開館。文化の保存といふなら、本來、人の壽命を越える時間掛けてやることだ。こんなに早く行き詰まるのは、最初の計畫から間違つてゐたのではないのか。責任も取れないくせに「文化財」を集めたこと自體が、文化破壞の最初ではないのか。

地元にも問題の「館」があつて、早く閉めろとの聲がちらほら。閉めると決れば、多分誰も反對しないだらうな。一人になりたいときに行くと良い所なんだが。

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「箱」の末路

財政難が理由で民間委託に、それが駄目なら賣りたいさうだ。ここは開館が平成三年といふから呆れた話である。今、日本中に似たやうな話がある。寫眞關係でも東京はいふに及ばず、川崎も危ないとか。長期間、收藏品を維持、公開するのに掛かるコストを考へずに、とりあへず豫算が取れる内に「箱」を作つておかうとして來た結果である。何が馬鹿馬鹿しいかと言へば、分不相應に大きな建物を作つてしまふところ。大抵周りから浮いた何だかイヤな形をしてゐる。おまけに中味はくすんだやうな油繪だつたり、淺薄な現代美術だけだつたりする。芦屋は行つたことがないから何とも言へないが、日本寫眞史において寶と呼ぶべき重要な所藏品があるのは確かである。

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月並寫眞

『写真の真実』に登場するもう一人の日本人、岩宮武二は晝は寫眞を撮り、夜は俳句を作る、と語つてゐる。氣にしてゐなかつたが、今、手元にある他の本を探してみたら、岩宮の俳句が載つてゐる文章があつた‥‥‥

俳句そのものはよく分らないから、少し別の話。寫眞と俳句は似てゐると感じるのは、アマチュア・カメラマンの主流である人たち(中高年が多い)を見るときだ。かつて俳句が擔つてゐたものを寫眞が代行してゐるやうだ。つまり、それにかこつけ、仲間と或は獨りで出掛けては、季節の花を愛で、祭りを見物してゐる。熱心な人は月ごとに「作品」を先生に見せて添削を受ける。同工異曲が山ほどあつて、その中で上手だ下手だと樂しさうである。中には他人を感心させるほどのものを作る人もゐる。まづは良い趣味であると言へる。

俳句と違ふのは道具に金が掛かるところ。ときとして傍迷惑な振舞ひをしてしまふところ。

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ZoneZero

世界中から相當な數の寫眞家が參加してゐる畫像展示サイト。特にラテンアメリカの寫眞家が多い。ジャンルも樣々だが全體的に水準が高い。日本人の名前は二人見つけた。Tetsuya Tamano のイメージは強烈。

別の話。このサイトでも見られるが、外國人が日本に來て撮る典型的な寫眞がある。舞妓が携帶電話を掛けてゐる類である。喫茶店の店先でスパゲティを卷きつけたフォークが宙に浮いてゐる類である。昔々、撮つた本人(フランス人)が目の前にゐたので「かう云ふものは日本人に見せてもしやうがない」と言つてやりたかつたが、言葉が出なかつたことがある。それはどうでも良いが、日本人も隨分こんな寫眞を、海外へ行つては撮つてゐるのだらうな。自分が珍しいと感じたものを撮るのは、カメラの使ひ方として全く正しいことだが、土地の人にはありふれたものだつたり、その感じ方自體が類型的だつたりするため、作品としての價値は低くなる場合が多いのではないか。次は、フランク・ホーヴァットが、濱谷浩へのインタヴューで言つた言葉。日本で撮影された濱谷の作品を讚へた後で:

これに反して、外国でのあなたの報道写真は同じようには私に感銘を与えないのですよ。あなたの見せる情景(シーン)は、私の個人的経験によるか、それとも他の写真ですでに見ていて知っているものです。これらの写真には新しい情報が見出せない−−もちろん、おそらく、被写体とあなたご自身との間の距離は別にしてね。

フランク・ホーヴァット著・吉山幸夫譯『写真の真実』(トレヴィル、平成6/1994)、p.268

濱谷はこれに、あなたの批判は正当なものと答へてゐる。濱谷浩でさへかう言はれてしまふのである(非常に高いレベルでの話ではあるが)。

Kato