「四角いもの」覺書 - 平成十五年七月

平成十五年七月

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フォトライフ四季

カメラのキタムラが、店頭で只で配つてゐる季刊誌『フォトライフ四季』は、毎號一人の寫眞家を特集してゐるのがよい。作品、インタビューで表紙を含めて十二ページかけてゐる。また別のページでは、見開きで、それほど有名ではないが特徴のある寫眞家の紹介をしてゐる。こちらは知らない人が出てくるところが樂しい。しかし、文章中で寫眞家の名にいちいち「先生」とつけてゐるのは、いかにも商人らしいが、鬱陶しい。

H15-7-27

寫眞家の經歴などをみると、過去に開いた展覽會のリストが載つてゐるのは普通だが、あれは何のためか。今さら觀に行くわけにもいかない。自慢の一種か。それを見て「あれはひどい寫眞だつた」と思ひ出す人もゐるかもしれない。

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中京大學Cスクエアへの行き方

大學のサイトの交通案内には「地下鐵鶴舞線の八事驛から徒歩」とあるが、もう一つの行き方は、金山驛から名古屋大學行きの市バスに乘つて八事北で下車、である。降りたら大學の眞ん前だ。階段の上り下りが大幅に減るのがいい。そして歸りに、地下鐵で鶴舞の古本屋へ行くのだ。大須をぶらつくのもいい。

H15-7-18

オノデラユキ展 transvest(中京大學Cスクエア

等身大前後に引伸されたシルエットの全身像。カウボーイ、フラメンコの踊り子、ボクサーなど、影繪でも分りやすい服装、ポーズ、身振りである。彼らは、つま先立ちをしてゐたり、片足で立つたりする。床は反射面になつてゐるため水面上に立つてゐるやうにも見える。顏は黒くつぶれて、全く見えないが、服装は暗いなかに朧げに諧調を持つ。何か光澤のある生地なのかと近づいて、よく見ると、建物の外や室内や風景や昆蟲が入り亂れて見えてくる。二つの世界が一體化してゐるわけだが、これは通常の印刷物では再現できまい。大きさを同じにしても、諧調の幅、解像度が足りないだらう。會場で配るパンフレットでは別々にして印刷してある。また、三人が芝居がかつた動きを見せるもの、アクアラングで潛る人、のバリエーション。

他に小品が六點。日本語で謂ふと「液體とTVと昆蟲」となる題。明るくムラの無いグレー(實に程よい濃度)に蝶や蟻や天道蟲が浮ぶ。その足もとには机にこぼれたやうな液體があたかも昆蟲の影の如く附添ふ。よく見れば、その昆蟲はテレビモニタに映されたものの複寫であり、走査線の體と切拔かれた輪郭線とを持つ。コナン・ドイルが騙されたといふ例の「妖精の寫眞」を思はせる。作り物で、いかにも作り物じみてゐて、しかし、信じたい人には生きてゐる感じがしないでもない。單純ながら畫面の構成も緊張感があり、かなり欲しくなる作品。

一瞥で意味を諒解したと思つた寫眞が、少しの觀察の後には、あからさまに別の意味をも提示してゐる。その二つの意味を繋げるための脈絡も見當らず、虚空に吊るされた心地がする。★

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嘘つき飛脚

結局午前中に屆く。「十五日に屆けたと宅急便は報告してゐる」と、その直後、送り主から連絡。ちよつと前には、別の會社にも同じことをやられた經驗がある。メール便とはさう云ふものらしい。

H15-7-15

メール便

十二日に發送したと連絡のあつた「メール便」が屆かない。册子小包よりも安いため、これが使はれる場合が増えてきたが、考へものである。配達人が郵便受けに默つて入れていくのは普通の郵便と同じだが、その時間が一定しないため、受取る方は見落しがちである。そもそもダイレクトメールはじめ、代りのあるものを送るための手段だらう。代りのないものである古本を送るには不向きだ。誤配の話もよく聞く。明日も來なければ、發送元へ問合せるか。

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尾仲浩二『slow boat』

八月二十五日發賣豫定、定價三千八百圓。03FOTOSで宣傳、豫約受付を始めてゐる。豫約特典は特製ポストカード。發行は蒼穹舎。

このタイトルについて尾仲さんは「本當は『MATATABI』(股旅)にしたかつたが、外人に説明するとき不便だから」と説明してゐる(マタタビ日記6月1日)。彼の本をどれだけの西洋人が手にするかは知らないが、たしかに、あまりに日本的(東洋的)なタイトルは誤解されたり、過ぎた深讀みをされやすい。それを逆手にとる人もゐるが。一方、日本人なら英語のタイトルでも分る、と云ふより、あまり氣にしない人が多い。

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久世光彦と『薔薇刑』

清里フォトアートミュージアム友の会会報Vol.18(平成15年6月30日發行)に、演出家・作家の久世光彦(くぜてるひこ)による『薔薇刑』についてのエッセイ:『犯す男---細江英公』が掲載されてゐる。當時の彼の生活・時代背景と絡めて、ただならぬ勢ひで熱い文章が綴られてゐる。要約困難。「寫眞集」を語つた文としては出色。

Kato