ラルフ・ギブソン(Ralph Gibson)の本

I don’t want to make abstract photographs, but I do want to perceive the abstract in things. I find a great deal of mystery in being alive.

Ralph Gibson:1939年(昭和14)米国ロサンジェルスに生れ、1956年アメリカ海軍に入隊し写真を学んだ。除隊後サンフランシスコ藝術大学へすすんだ後、ロバート・フランク、ドロシア・ラングの助手を経て、1963年よりフリーランス写真家となつた。展覧会での発表ともに彼は写真集の出版を重視してきた。

写真集と主な展覧会カタログ

The Strip

最初の写真集。ロサンジェルスのThe Stripと呼ばれる地区で撮影されたドキュメンタリー写真である。夜間撮影が中心のため、コントラストの高い、粗粒子の画像で、ブレやボケが大きい写真も多い。ロバート・フランクといふより、むしろウィリアム・クライン風に見えるか。

巻末の著者紹介文:ラルフ・ギブソン、ロサンゼルスのフォトジャーナリスト、The Strip の写真を製作するためにライカM2と様々なレンズを使用した。この本から選ばれた写真は現在、ニューヨーク大学とブランダイス大学ローズ美術館の展覧会で展示されてゐる。

The Somnambulist

『夢遊病者』。収録作品は1967年から撮影された。Lustrum Press は1969年に彼自身が、この本のために設立した出版社である(どこも出してくれなかつたらしい)。

作者自身の序文(Gentle Reader...)が附けられてゐる:

そこでは万事が現実である、ある夢の一続き。‥‥眠つてゐる間、夢みる人はこの惑星のどこか別の場所にもゐて、少なくとも二人の人間になつてゐる。

冒頭が寝床で狸寝入(?)してゐるギブソンのポートレイト(※)であることからも、これらの写真が夢になぞらへられてゐると知らされる。砂漠へ向けられた万年筆、馬の頭、ドアからさし出された手、池に浮ぶ裸の女、‥‥と、その写真の配列に、撮影された現実に沿つた脈絡はない。表紙の「ボートにかけられた手」のやうな、薄気味悪い写真が多い。

雑誌、Camera, Oct. 1970, No.10 (C.J.Bucher) には「出版が予定されてゐる」として本書の内容が掲載されてゐる。番号をふつた27枚が並んでゐるが、全く順序が違ふ。次作 Deja-Vu 収録の写真もある。出版直前まで写真の順序は考へられてゐた様である。この本は夢を表現したものではない。現実から切取られた映像である写真は、現実の反映であると同時に、それとはほとんど無関係の意味をも持ちうる。固定された像となることで初めて得られた意味を手がかりに、これらの写真は選ばれ、列べられたのである。また逆に、列べられることにより、その意味が強められ、見るひとに明らかになるのである。同誌にはギブソンの言葉として以下があげられてゐる:

これらのイメージは写真を通じてしか、その内部に到達できない場所から生れた。私の生活に関する全てが刻々と変化するのに、これらのイメージは変らない、故に、私が本当に信頼する唯一のものとなる‥‥

初版以外に、1970, SECOND EDITION、また、1973, SECOND EDITIONと奥付に記載の本があり、こちらの方が発行された部数が多い。写真に関しては同じ。

※撮影者はマリー・エレン・マーク(Mary Ellen Mark)である。(Deu Ex Machina を参照)

Deja-Vu

『既視感』。陳腐なタイトルだが、このころは耳に新しい言葉だつたか。déjà-vu と書くが正式だらうが、この本ではDEJA-VUである。特に説明はないが、ラテン・アメリカで撮影されたと明らかに判る写真が中心となつてゐる。他の本で年譜を見ると、1968年にメキシコへ旅行する、とある。何故かしら、中年以上の男性の肖像写真が多い。それと並べられる「物」の写真では、対象の局部に抽象的・幾何学的な形を見出していく、彼の視覚的な嗜好が段々とあらはれてきた。また、見開きで対となる写真の組み合せ方が絶妙である。大きさが大-小、あるいは、小-大と変化して、視覚的なリズムを作る。ストレートに現実を複写したはずの写真が現実世界における時間や空間の秩序を越えてしまふことに、一種の爽快感すら覚える。

Days at Sea

『海での日々』といつても船で撮られた写真ばかりを集めたわけではない。ちなみに辞書をみると at sea で「途方にくれて」の意味もある。どちらかといふと男性的で乾いた印象の前作に比べると、女性をとらへたエロチックな写真が多い。露骨に性的なものさへある。このタイトルは、ギブソンが経験した海軍時代の航海を指してゐる。男ばかりで隔離された日々における妄想なのである。

構成として見開きの片面のみに写真を載せてゐるのが、前作・前々作と異なる。

奥附部分にTHE TRILOGY IS COMPLETE (三部作が完成)とある。ここまでの三冊の本を指す。いづれも表紙が黒いため、black trilogyと呼ばれることもある。

Syntax

「三部作」にあつた情緒的なもの・怪奇趣味は押さへられて、理知的な・明解な論理により構成されてゐる。前述の「嗜好」を作者自身がはつきりと自覚した結果だらう。写真自体も単純化されたものが増えた。そつけないほどのものもある。建築物・静物の一部分のクローズアップと、人物の部分が切取られた映像とを、交互に配列した構成が、ほぼ厳密に持続する。多くが影のはつきりついた写真である。光と影との境界に、物と人とを問はず抽象的な形が浮び上がる。

奥附に小さく、NEITHER FIGURE OR GROUND と書いてある。思ひ出すのは、心理学の本でみた、向ひ合ふ横顔の間に杯が見える、と云ふ有名な絵である。ルビン(デンマークの心理学者)の「図-地反転図形」と説明されてゐる。図が figure で、地が ground である。ギブソンの写真においては、図が光であり地が影になる、或は、図が影であり地が光である。それは映像のなかで同等に扱はれ、現実の我々の知覚では意識されることの少ない地の存在が大きくなる。そして「どちらでもない」のである。日常生活では滅多に起らない(起り得るが無意識に排除される)、「図と地」との入替りを、彼はたくみに発見し、それ自体が表現されるべきテーマとする。彼の写真の特徴である、強いコントラストも部分のクローズアップも「反転」へ鑑賞者を誘導する力となる。

「図と地」の概念が写真と結びつきやすいのは、視点が固定されること、立体感が失はれること、全体から切取られた部分であることなどの写真の生理とでもよべる性質によるだらう。これらの性質を強調したら、そのままギブソンの特徴となる。この本以後はつきりした、彼の独自性のひとつはここにある。

L’Anonyme

ギブソンが撮る対象の大きなひとつが女性である。ヌードである。タイトルの『匿名』の通りどれも顔がほとんど写つてゐないヌード写真。ここまでの本の内から採られた作品も多い。

L’Œil Flottant

アンドレ・ケルテスの思ひ出へ捧げられてゐる、パリで撮影されたやうだ。全体に暗く、その中で白が浮上がる調子が多い。見る人は、いくつかの写真のなかで、光と影とが作り出した不思議な顔を見出すだらう。

この本のなかでは、彼は好きな街で好きなものを撮影してゐる。椅子の背もたれ、開きかけで差出された手、上着の釦の列、石に彫られた文字、等々。これらは他の本でもしつこいくらゐに繰返されてゐる。逆にいへば好きなものしか彼は写さない。かうした物への、あるいは、それらを写真に撮ることへの偏愛は、他人には理解しがたいところがある。「個人的なまなざし・視線」とは、ロバート・フランクの『アメリカ人』以後の写真を特徴づける言ひ方だが、これはかなり極端な場合だらう。

表紙はソラリゼーションによる写真でギブソンの目である。タイトルの『浮遊する目』とは、彼のスタイルを意味しているやうだ。つまり、人間の他の五感から視覚だけが離れて、突出した状態なのである。ふだん視覚はそれのみで存在するのではない。何かを見るとき普通は、他の感覚やそれが基となった記憶と相俟つて対象の意味を把握するのである。純粋に目のみで見た世界は、日常住んでゐる世界と、すいぶん意味の異なるものとなるだらう。多くの写真家たちは、自分の五感で感じた現実を、視覚の機能の一部を模倣・代行するにすぎない機械に託さうと苦労してきた。それとは対照的だ。

Tropism

International Photographic Center に所蔵された作品による同名の展覧会のために作られた。初期作品を含めて、1960-1986年の彼の仕事を詳しく知ることができる。年譜、掲載書・雑誌の一覧が載つてゐる。タイトルを辞書でひくと「(生物学用語)向性。屈動性《刺戟の方向にまがる性質》」とある。

The Archive 24 / Ralph Gibson: Early Work

The Archive はアリゾナ大学から出されてゐる写真研究のシリーズ。本巻はほとんどギブソンに関するが、最後の4頁は Sidney Grossman の記事。

1960-67年にロサンジェルス、サンフランシスコで撮影された、彼にとつて初期の作品を集めてゐる。『夢遊病者』より前に出版された写真集:The Strip (1966) の複写が載つてゐるのが興味深い。その当時、彼はシュルレアリスムの写真家ではなく、都会のドキュメンタリー写真家である。ニクソンの演説風景がある。路地で寝そべる浮浪者がゐる。一見して、ロバート・フランクの影響を強く受けてゐることがわかる。表紙の写真(後ろ手に薔薇を持つた男)だつて、フランクの Black White and Things のなかの一枚を嫌でも思ひ出す。ギブソンが自分を語つた言葉が写真の間にはさまれてゐて、その中にも1966年、私はロバート・フランクの呪縛の中にゐた。絶望的に彼を模倣してゐたとある。「呪縛」を離れ、自分の表現を確立したのが『夢遊病者』 となる。といつても、この頃の写真も一級品だ。そして、後の独自な表現の萌芽となるものが多く発見できる。

彼が自分の子供時代を語つた部分は興味深い:

私は大して幸せな子供ではなかつた。理解もできず、表現もできない多くの感情を持つてゐた。ずいぶん後になり、写真家になつてから分つたのは、これらの感情は抽象的な性質のもので、自分の作品を通じてのみ表現できるものであることだ。

彼の表現は、子供のころからそなへた気質に根ざしてゐるらしい。

In Situ

タイトルはラテン語で英文中でも使はれる言葉。生物・医学論文で使はれてゐるのを見たことがある。「あるべきところにある状態」といつた意味。本稿冒頭にあげたギブソンの言葉にある事物のなかに抽象的なものを見出す態度と対応する言葉だらう。表紙写真は、レストランのメニューで、写真の枠の外に同じやうに並んで著者名と本のタイトルとがある。

Chiaroscuro

またしても聞き慣れない言葉。「(美術用語)明暗の配合」と英和辞典には書いてある。縦に細長い本であり、装幀がしやれてゐる。ただし背表紙が脆くて、本屋にしばらく並んでゐると破れてしまふ。イタリアで撮られた写真を集めてゐる。ローマ、ベネツィア、カプリといつた場所。建築の部分、ポートレイト、差し出された手。陰翳の深い写真が、大きさに変化をもたせながら余白を大きくとつて、巧みにレイアウトされてゐる。頗る魅力的な本であると思ふ。

A Propos de Mary Jane

比較的小さい本。彼の恋人:Mary Jane が登場する写真を集める。L’AnonymeTropism の表紙の人である。写真の間には恋人への甘い言葉が仏語と英語とで書いてある。特定の人をテーマとして、私的な人間関係があらはれてゐる本は、彼にとつてはこれだけである。この女性を賛美する態度で終始してゐる。異国の男の目にも、彼女が明るい感じの、親しみやすさうな美人であることはたしかだが、なぜ特にこのひとでなければならないのかは写真だけでは知る由もない。

記念写真風のもの以外では、収録作品はすでに発表されたものが多い。当り前のことだが、一枚の写真に写つた人が匿名であるかどうかは、ほとんど写真の外の事情に依存する。かうして名前が与へられることで、顔がろくに写つてゐない写真でもその人の個性を表現し始めるわけである。

L’Histoire de France

『フランスの歴史』。Tropism にも同じタイトルで作品の一部が載つてゐたが、全てがカラー写真である本はこれが初めてである。タイトルは大層なものだが、特に名所旧蹟をたづねてゐるわけではない。人々の肖像と、建物や物の断片の集積とでフランス(ほとんどパリ?)を表現しようとしてゐる。L’Œil Flottant のカラー篇である。

色彩の美しさは特筆すべきである。彼のモノクロームが「コントラストの強い」としばしば評されるのに、ここでは、階調が豊かで、微妙な中間色がよく出てゐる。けばけばしさが全くなく、繊細だ。印刷も優秀なのだらう。ただし色彩を得ることで特に彼の写真が変つたとは見えない。

Bookworks 4 Projects

Salon Litteraire; American Gothic; Infanta; The Gotham Chroniclesの四つの章で構成されてゐる。それぞれがいづれ本としてまとめられるテーマとされる。その中間報告。

Women

女性を題材とした作品を集めた展覧会のカタログである。ギブソンの女性観は、はつきりしてゐて、かなり理想化されたものである。美しく、慈愛に満ちた聖母マリアみたいな人である。たとへばヘルムート・ニュートンの撮るモデルみたいに、美人ではあらうが、何だかおッかない人は出てこない。

本の形に合はせてトリミングされてゐる写真が何枚かある。これはいただけない。表紙は『夢遊病者』にも載つてゐる写真で、写真家のマリー・エレン・マークがモデルである。序文はMiles Barth

L’Aire de Bourgogne

The Spirit of Burgundy (Aperture, 1994) は英語版で、表紙の写真・デザインのみが異なる。

ワインの産地として有名なブルゴーニュ(Burgundyも同じ)をテーマとして、風物や人間を活写してゐる。従来の手法を全て使ひつつも、風景写真とよべるものも多い。そこがどんな場所なのかが分る写真である。葡萄畑、醸造所、街のモニュメント・銅像と、観光写真にもなりさうだ。

構成として目新しいのは、カラー写真とモノクロ写真とが混在してゐることである。大したことでないと思ふかもしれないが、かう云ふことをやつてゐる写真集を私は他に知らない。両方が一冊にあるとしても、たいていは、ある程度それぞれがまとめてある。このやり方が効果をあげてゐる。一般的に、色に対して我々は順応が早いし、白黒写真のなかの世界を異様と感じることは少ない。しかし、この本では隣合はせてカラーと白黒とが並べられ、目は応接にいとまがない状態になる。そこで生じる感覚的な混乱が面白い。(大げさにいへば)白黒に色を感じたり、カラー写真が色あせたり見える。

Infanta

日本の出版社、宝島社から出たがテキストは全て英語である(国内発売時には日本語の帯が附いてゐた)。洋書としても流通してゐる。女性のヌードと肖像との写真。コントラストが高く、粒子が目立つ写真であるが、荒れた感じは全くない。階調が整つてゐる。清潔感がある。まるで石膏像を見てゐるやうである。そして、石の彫像がときとして非常に生々しく感じられるやうに、この紙の上の女性たちは真に迫つてゐる。

画面内で、フォーカスされたところと、デフォーカス部分(ボケ)とを対等に扱ふのはギブソンのよくすることである(普通はデフォーカス部分は背景とか前景とかいはれあくまで引立役である)。この手法が多く用ゐられてゐる。

余談だが、この本を見たとき思ひだしたのは、細江英公の『抱擁』の内の何枚かである。ほとんど同じ図柄もある。細江の本と比べて思ふには、ギブソンにおいて「影」がはたしてゐた役割は、細江の写真では女性とからみ合ふ男性の肉体が担つてゐる。ギブソンの写真を指して「光が女で影が男」とまで言ふ気はしないが。

Light Years

ドイツでの展覧会に合はせて出版された。Peter Weiermair による編輯、解説でこれまでのギブソンの代表作を集めてゐる。エジプトに取材した Pharaonic Light のシリーズ(1987-91) も収められてゐる。つくりは立派だが、あまり特徴の無い本である。

Overtones

副題として、diptychs and proportion とある。珍しく横長の本で、見開きの片面に1〜3枚の写真がレイアウトされてゐる。副題通り、写真ごとの大きさの変化や、紙面内での並べ方に極めて緻密なものがある。ここまで紹介した本に掲載の作品に加へて、まだ見たことのない作品もちらほらある。もう片面には、写真家自身を含む17人の文章が掲載されてゐる。書いているのは批評家、写真家、詩人、画家といつた人たち。編者の Ray Merritt の序言によると、ギブソンの写真が言葉と組合はされるのは初めての試みださうだ(必ずしもさうではないと思ふが)。その文章は写真につかず離れずといふより、ほとんど彼の写真そのものについての批評、感想である。自著に各界名士からのほめ言葉を並べるあたり、いよいよ巨匠である。さらには裏表紙は油彩による肖像画である。

Courant Continu

Gille Mora 編輯による名作集。印刷が温黒調で、いくらかセピアがかつてさへ見える。コントラストが強くない=調子が柔らかいため、他の本と比べて印象がかなり違ふ。

Deus ex Machina

ギブソン自身のレイアウトにより、分厚いペーパーバックに、1960年からの彼の作品がまとめられてゐる。回顧的な文章も含まれた自伝でもある。セルフポートレイトや他人が彼を写した写真も多く載る。タイトル『デウス-エクス-マキナ』は、「機械仕掛けの神」、「安易な解決策」を意味する(詳しくは英和辞典参照)。

初期三部作がそのままの配列で、まるごと含まれてゐる他、代表作は網羅されてゐる。特に注目したいのは black kiss と題されたシリーズ(1972-1976)である。性描写を含むポルノグラフィさながらの写真であるが、ギブソンの構図に対する厳しい態度と、コントラストを高めに整へられた諧調で猥褻な感じは薄い。Days at Sea に収める意図があつたといふ。

Ex Libris

『蔵書票』。本、書物、文字をテーマにしてゐる。ポートレイトなども若干アクセントとして折り込まれる。余白部分が黒いので、全体に暗く沈んだ印象がある。博物館や図書館などに収蔵されてゐる年代物の本を写してゐるのだから、その印象が相応しくもある。巻末にはそれぞれの撮影場所、書名がリストとなつてゐるが、その中に「ギブソンのコレクション」とある。彼は古書コレクターであるやうだ。

日本で撮影された写真もあるが、どこかの寿司屋の暖簾だの、いはば素人の書を撮つてゐる。日本語を読めないだらうから仕方ないが、書物に関する長い歴史がある国なのだから、折角ならもうちよつとマシなものを撮つて欲しかつた。寿司屋(鰻もやつてゐるらしい)の暖簾にいたつては写真が逆様に載つてゐる。

Tropical Drift

Pharaonic Light

Brazil

Piemonte

State of Axe

Refractions

参考

作品が見られる主なウェブサイト
Ralph Gibson
George Eastman House - Ralph Gibson
加藤